名鉄小牧線は、本来、大曽根~犬山間を結ぶ路線として計画されたが、計画が変更され、犬山~上飯田間の路線として開業した。当初は、上飯田より名古屋市内各所へ、市電で結ばれていたが、市電が廃止後、都心部への利便性が悪くなり、他線との接続が悲願となっていた。そこで、新たにできた名古屋市営地下鉄上飯田連絡線に相互直通することとなった。ここでは、相互直通により廃止された、地上線を探索する。
味鋺~瀬古(地下化前に廃止)
味鋺駅より、瀬古方面。庄内川の堤防まで廃線跡はこのようになっている。
小牧線は、工事中、一時運転を休止していたので、地下への入り口は、旧線と同じところにある。
庄内川の、味鋺側には、築堤が残っている。片側が削られているが、上にはバラストが残っている。
築堤上の様子。左側の建物が建設されたことにより削られているのが分かる。
味鋺方面を望む。橋台は撤去されているが、不自然にコンクリートで固められ、橋の痕跡は今もある。
この踏切は、現役時代に廃止されたので、踏切の痕跡はまったくない。
瀬古方面。ゼブラカラーの柵で、見難いが、廃線跡は、マンション横の林にあったはずだ。
橋のあった部分だけ、ガードレールがなくなっている。どうやら、このガードレールは、地上線時代からあったようだ。
庄内川堤防から続く廃線跡。このあたりが一番保存状態がいい。柵があるが倒されており、誰かが入って行った形跡がある。で、今回、廃線跡へ入っていく。(おい
上飯田連絡線(株)の河川許可証が付近にあった。この下3.5mの深さにトンネルがあると書かれている。そう、小牧線(現上飯田連絡線)のトンネルである。
築堤上の様子。右の建物群は、上下水道局のもの。
架線柱の基礎。左右でなぜか形状が異なっていた。
もう一種の土台。かなり形が異なる。
庄内川の橋梁跡。先述したとおり、柵がなぎ倒されている。この日、航空自衛隊の訓練があり、多くの自衛隊機が飛んでいた。写真にも、C130ハーキュリーズが移っている。
側溝。廃止後3年余りということもあり、人が結構立ち入って、持ち出しの形跡もある。犬釘も、散乱していたが、とんでもない場所に刺さっているものもあった。誰かの悪戯らしい。
犬釘。探せば結構転がっていた。
よく見ると、枕木片も転がっていた。
近くには道標があった。まだ名鉄の土地のようだ。
踏み切りの跡地。この先は、柵があり、進めなかった。
道路側より踏み切り跡。廃線跡とクロスするところだけ、不自然な盛り上がりがある。まだレールが道路に埋まっている可能性もある。
破損した、踏み切り内立ち入り禁止。なぜか、反対側にも、踏切内立ち入り禁止とあった。列車に対してなのか?しかし、それでは、列車の運転は不可能だ。
踏み切り跡より矢田川方面。ここからは柵があり進めなかったため、迂回。
新道の建設により、築堤が切断されている。廃線跡は、確実に消えていっているのだ。
跨道橋跡。橋げたは撤去されたものの、その他手が加えられた形跡がなく、保存状態もかなりよい。
橋台。人家の庭をも橋はまたいでいたらしい。
矢田川の堤防から伸びる築堤。ここからは、廃線跡に入れそうだが、入れなかった。横から柵をかわして入れそうだが、これが結構怖い。
味鋺側から、上飯田方面を望む。青い建物と、茶色いマンションの間の空き地が、廃線跡。
矢田川堤防より、先ほどの、跨道橋跡方面。真っ直ぐに伸びている。
対岸(上飯田側)の取り付け部。「きけん」とあるが、一体何が危険なのかはわからない。とりあえず用心しながら進んだ。
廃線跡の部分に設置されている柵。付ける意味がない気がする。
上飯田方面の築堤。多少削られている。少し行ったところで高架になっていた。
路上に残された踏切表示。名古屋周辺の人しかピンと来ないかもしれない。残念ながら、廃線前に踏切は廃止。
上飯田駅付近の高架跡地。このあたりに駅(ホーム)があった。
上飯田駅ビルの北側壁に残る、連絡通路をふさいだ跡。建物の中も、中央階段などが残り、当時の雰囲気を伝える。
この廃線跡は、現在の放置の状況などから、これからも残ると思われる。また、これからも残していってほしいものだ。